愛されていたはず・・・なのに、生きづらい

こんにちは。

東京 世田谷の心理セラピスト 満月みつきのりこです。

 

「どうして生きるのがこんなに辛いの?」

「どうして自分らしく生きられないの?」

繰り返すそのお悩みをリトリーブサイコセラピーで

根本から解決します。

 

関東ではそろそろ梅が見頃を迎えます。

かわいい梅の花を見かけては

春の近づきを感じています。

私はつい最近知ったのですが

梅と桜の見分け方をご存知ですか?

 

桜は花柄(かへい)と呼ばれる

枝から分かれた小さな緑色の茎がありますが

梅は花柄がなく

枝の付け根に花が咲くのだそうですよ。

 

 

今日は「自分で考えないこと」について

書いてみようと思います。

 

普段、自分で考えている感覚はありますか?

 

日本人はあまり考えないと

言われていますよね。

 

考えない方が生きやすい国だから、

学校教育が考えるより覚える方が中心だから

などいろいろな意見がありますよね。

 

それ以外にも、もしかしたら親子関係が原因で

考えられない可能性があるかもしれません。

 

■ 考えていないのはどのような人?

心当たりはありませんか?

 

・何がやりたいのかわからない

・意見を求められると答えることができない

・人に従っていれば安心

・考えようとすると頭がぼーっとする

・何か聞かれたら「わからない」と答えることが多い

・自分は頭が悪い前提で生きている

・アイドルやゲームに依存するなど現実逃避している

・占いや宗教にはまっている

 

このような感覚がある場合は

もしかしたら自分で考えることを

止めているのかもしれません。

 

 

童話「裸の王様」を読んだことはありますか?

 

ある国に、新しい服が大好きな、おしゃれな皇帝がいた。ある日、城下町に二人組の男が、仕立て屋という触れ込みでやってきた。彼らは「自分の地位にふさわしくない者や、手におえないばか者」の目には見えない、不思議な布地をつくることができるという。噂を聞いた皇帝は2人をお城に召し出して、大喜びで大金を払い、彼らに新しい衣装を注文した。

彼らはお城の一室に織り機を設置し、さっそく仕事にかかる。皇帝が大臣を視察にやると、仕立て屋たちが忙しく織っている「ばか者には見えない布地」とやらは大臣の目にはまったく見えず、彼らは手になにも持っていないように見える。大臣はたいへん困るが、皇帝には自分には布地が見えなかったと言えず、仕立て屋たちが説明する布地の色と柄をそのまま報告することにした。

その後、視察にいった家来はみな「布地は見事なものでございます」と報告する。最後に皇帝がじきじき仕事場に行くと「ばか者には見えない布地」は、皇帝の目にもさっぱり見えない。皇帝はうろたえるが、家来たちには見えた布が自分に見えないとは言えず、布地の出来栄えを大声で賞賛し、周囲の家来も調子を合わせて衣装を褒める。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

この童話にはいろいろな教訓があると言われていますね。

皇帝が仕立て屋の話を信じてしまったのはなぜでしょうか?

 

きっと皇帝は「自分の地位にふさわしくない者や、手におえないばか者」と

思われたくなかったし、みんなが言うのだからそうなんだろうと

信じてしまったのだと思います。

真実かどうか自分で考えるということをしていないのですね。

 

■ 考えることをしない皇帝の子供時代

皇帝の子供時代はどのような家庭だったのか想像してみました。

 

皇帝のお父さんは忙しく、お城を留守にすることが多かった。

お母さんはお父さんがいない寂しさから皇帝を溺愛し

すべてのことに口や手を出していた。

現代でいう過保護の状態だったのかもしれません。

 

過保護に育てられた子供は

愛情をかけられたと感じつつも

一人では何もできないという無力感や自己否定感を抱え

自分で考えることを止めてしまう傾向があります。

 

愛されていたはずなのに、なぜか生きづらい

という感覚はここからくるのかもしれません。

 

過保護は子供が必要とするものよりも

自分の満足感や安心感を優先している状態なのです。

 

■ 考えることを止めてしまった背景

他にもこのような経験をしている場合は

自分で考えることを止めているかもしれません。

 

◆ 「お前はバカだ」と言われて育った

◆ 失敗すると「言うことを聞かないからだ」と言われて育った

◆ 親に自分の気持ちを聞いてもらったり言わせてもらえなかった

◆ 親の支配が強く自分の考えはほとんど否定された

◆ 親自身が考えることをしない

◆ 子供の頃、自分で決めたら誰かに迷惑をかけたことがある

◆ ネグレクト

 

 

そうそう。童話の続きに戻りましょう。

 

そして、皇帝の新しい衣装が完成すると。皇帝はパレードで新しい衣装をお披露目することにし、見えてもいない衣装を身にまとい、大通りを行進する。集まった国民も「ばか者」と思われるのをはばかり、歓呼して衣装を誉めそやす。

その中で、沿道にいた一人の小さな子供が、「だけど、なんにも着てないよ!」と叫び、群衆はざわめいた。「なんにも着ていらっしゃらないのか?」と、ざわめきは広がり、ついに皆が「なんにも着ていらっしゃらない!」と叫びだすなか、皇帝のパレードは続くのだった。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

皇帝は自分が裸であることに気づいたにも関わらず

パレードを続けたのですね。

自分の間違いを認めたくなかったのかもしれませんね。

プライドが高い皇帝ですね。

 

「プライドが高い」という言葉には

どんなイメージを持ちますか?

 

私のイメージだと

「自分の非を認めない人」というかんじがします。

自分の非を認めないということは

認めてしまったら、傷ついてしまうかもしれないし

自分のことをダメだと思ってしまうのかもしれません。

 

そうです。

プライドが高いということは自己重要感が低いことの

表れである可能性があります。

皇帝は過保護に育てられて、無力感と自己否定感の中で

生きてきたからなのかもしれませんね。

 

もし皇帝がこの先も自分を顧みないとしたら

また誰かに騙されて今度は皇帝の座を奪われたり

治めている国が滅んでしまうなんてことも

あるかもしれません。

 

現代に生きる私たちは

このまま自分で考えることをしなかったらどうなるでしょう?

 

自分で考えられないということは

自分の人生を他人に委ねていることになりますよね。

 

今は親や誰かに頼ったり従ったりすることが

できるのかもしれませんが

その人がもしいなくなってしまったら・・・。

 

親が歳を取ったり病気になったときに

初めてどうしよう!となる人もいるかもしれませんね。

 

安心してください。

自分で考えていないことに気づいたのなら大丈夫です。

 

自分で考えなければ、楽だったり、人のせいにできたり

いいこともたくさんあるかもしれませんが

きっと自分らしく生きることはできませんよね。

 

今からでも遅くはないと思うのです。

自分の人生を自分の手に取り戻す選択をしてみませんか?