こんにちは。
東京 世田谷の心理セラピスト 満月のりこです。
生きづらさを解消しあなた本来の輝きを
取り戻すお手伝いをしています。
みなさん、果物はお好きですか?
はい、私は大好きです!
今の季節はやっぱりこたつみかんですよね。
毎月8日は「果物の日」らしいです。
おやつ(8つ)に由来するそうですよ。
果物の一日の摂取目安量は200グラムで
リンゴなら1個分、みかんなら2個分だそうです。

今日は「他人の不幸は蜜の味」を感じやすい人について
考えてみようと思います。
■ 妬みという感情
「他人の不幸は蜜の味」って聞いたことありますか?
これは他人の不幸を喜ぶ心理のことです。
この言葉を聞くと
「そう!その通り!」と頷きたくなりますか?
それとも「他人の不幸を喜ぶなんて不謹慎だ!」
「妬みは7つの大罪のうちのひとつで、そんな妬み感情は死に至る罪だ!」
と糾弾したくなりますか?
うん、そうですよね。
妬んでるなんて誰にも知られたくないし
あまり認めたくない感情ですよね。
安心してくださいね。
妬みは人間なら誰でも持っている感情なのです。
妬みは人の進化の過程で生存競争のために
遺伝子に組み込まれた機能なのです。
妬み感情は
「周りの個体より多くの食物やベストな異性を得たい」
という原動力になります。
そしてその感情があった方が子孫を残す可能性が高まるのです。
必要があって妬みという感情があるのですね。
さて、人の不幸を喜びやすいのは
どんな時なのでしょうか?
実験に参加した大学生は、自分の知的能力(知能のようなもの)が測定できるという実験に取り組みました。その後、成績が返されるのですが、そこには、「知的能力が高い」か「低い」かのどちらかという結果が記されていました。これらは、実のところ実験参加者の能力とは無関係の偽の情報でした。
続いて、実験参加者は、ある女性がアイドルのオーディションを受ける動画を見ます。その内容は、オーディションに参加した女性が音痴で、審査員から酷評されるというものでした。
その結果は、自分の知的能力が低かったとフィードバックを受けた学生たちは、そうでない学生たちと比べて、動画に登場した女性の不幸を喜ばしいと回答したのです。しかも、そのように回答したのは、課題を行う前に、自分の賢さに自信がないと答えた人たちに限られていました。
つまり、ただでさえ自信喪失気味の人が、さらにプライドを傷つけられると、全然関係のない他人の不幸を喜ぶことで自分を慰めるようになるというわけです。
中野信子 澤田匡人 「正しい恨みの晴らし方」より引用
ということは、もしかしたら普段から
自信がない人は「他人の不幸は蜜の味」を感じやすいのかもしれません。

■ 自信とはいったい何?
デジタル大辞泉によると、自信とは
「自分で自分の能力や価値などを信じること」
とあります。
一般に自信というと
・一流企業の重役だから
・資産がたくさんあるから
・名声や権力があるから
・~ができるから
・体力があるから
・外見がいいから
このような状態である時に自信として
感じる人が多いような気がします。
確かにこのような状態だといいですよね。
堂々としていたり、輝いていたり、
すごいですね!素敵ですね!と言われるようなイメージ。
でもこれらは永遠のものではありませんよね。
会社は潰れるかもしれないし
騙されて資産や名声もなくなるかもしれません。
歳を取れば能力も体力も外見も衰えていくでしょう。
はたしてその時にも自信があると言えるでしょうか?
それを失った時、無気力やうつになったり
死にたくなってしまう人もいるかもしれません。
多くの人は、自分の外側にあるものを
自分の価値として自信と言っているように思います。
「本当の自信」とは
ありのままの自分でいい、
どんな自分でも大丈夫、
そう感じることができることだと私は思います。
自己重要感や自己肯定感と呼ばれるものを
持っていること。
成功しても失敗しても
お金があってもなくても
何かを持っていてもいなくても
どんな自分でも存在していい。
ただ生きているだけでいい。

普段、このような感覚ありませんか?
◇ うまくいかないことがあると落ち込みやすい
◇ 上司や先生などの意見に左右されやすい
◇ どうせ無理と思ってしまう
◇ つい自慢話をしてしまう
◇ 褒められても受け取れない
◇ プライドは高いほうだ
◇ 認められたい気持ちが強い
◇ 責任を取るような立場が苦手
もし思い当たるなら、
「本当の自信」がない状態なのかもしれません。
人の不幸を喜んだり、人を見下している限り
ダメな自分、価値のない自分を感じなくて済みますよね。
■ 「本当の自信」をなくした背景
以前の私は、資格を取ったり習い事をしたり
自分の外側を満たそうとがんばっていました。
それなりに充実感や楽しさはあったけれど
それなり、なんですよね。
止めたらすぐ忘れるし、上には上がいるし、
求めたらきりがない。
そしていつもどこかに不安を抱えていました。
どうしてそんなに自分の外側を埋めようと
必死だったのでしょう?
それは外側を埋めることが
認められること、愛されることと思っていたし
自分の外側が自分の価値と信じて疑わなかったから。
どんな自分でも大丈夫なんて到底思えなかったのです。
外側を埋めることができなければ
死んでしまいそうな恐怖を無意識に感じていたのだと思います。
もし同じような感覚がある場合、幼少期にこのような記憶はありませんか?
◇ 親から愛された感覚がない
◇ 親から否定されてきた
◇ 親から支配されてきた
◇ 親も自信がない
◇ 兄弟、親戚、近所の子と比較されてきた
◇ 何かができたときだけ親から褒めてもらえた
◇ 虐待、ネグレクト
ありのままの自分でいい、
どんな自分でも大丈夫、
そう感じることができたら
やりたいことにもチャレンジできるし、
誰にでも言いたいことも言えるし、
自分の望んだとおりに生きることができる
幸せな人生になると思いませんか?
自分の外側のいいところがなくなってしまったら
本当にダメな自分になってしまいそう?
うん、その気持ちとってもよくわかります。
ダメな部分やできない部分が
あなたのすべてではありません。
それもまた自分の一部と認めて
受け入れることができたときに
ありのまま自分らしく生きることができるように
なるのではないでしょうか?
自分以上に自分を認めたり愛したりできる人はいませんよね。
今までずっとがんばってきた自分のこと
認めて大切にしてくださいね。
ありのままの自分でいられない、「本当の自信」をなくした背景には
必ずといっていいほど親子関係があります。
その親子関係を紐解いて幸せな人生を歩んでみませんか?